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ロリータコンプレックス

私の妄想の中でお仕置きを受けるのは、いつも小学校の高学年からせいぜい高校生までの少女なのですから、当然、ロリコンでもあるわけです。それで、私も時々少女ヌードの本を買ったりしていました。しかし、日本の物はあくまでも芸術作品でしたし、外国のいわゆるチャイルドポルノは粗雑な写真ばかりで、私の趣味に合う物ではなかったのです。

ころが1980年代にはいると、世の中にロリータ写真集が溢れるようになりました。そして、モデルも驚くような美少女が登場するようになりました。しかも、彼女たちの性器もはっきり写っています。当時はまだヘアヌードが解禁される前でしたが、どういうわけか少女の性器はお咎めなしだったのです。性器の付属物に過ぎない陰毛が猥褻で、性器そのものは猥褻ではないというおかしな時代でした。最初はそれでも恐る恐るという感じの性器描写でしたが、そのうちどんどん大胆になり、明らかに少女の性器を強調した写真が現れるようになりました。

80年代半ばになると、もはや少女ヌードは普通になり、大手の出版社が出す写真集は、普通の本屋で売られる時代でした。私も「諏訪野しおり」の写真集を旭屋書店で買った覚えがあります。巨匠アラーキーが「萩尾ゆかり」をモデルに撮った「少女物語」が載っていた雑誌も普通に本屋に並んでました。「萩尾ゆかり」がラブホテルのベッドの上で大股開きで、割れ目をさらしている写真など、アラーキーらしい猥褻感あふれるものでした。

こんな風に書いていると、ロリータ写真集を集めまくっていたように思われるかもしれませんが、実際にはそれほどでもありませんでした。というのが、やはり私にとっては少女はお仕置きの対象なので、その裸にさほど惹かれることはなかったのです。

でも清岡純子さんの写真には惹かれました。彼女のプチトマトシリーズも時々買っていましたが、ある号の写真には参りました。まだ、ほとんど胸のふくらみもない美少女がモデルでしたが、その子の穿いているパンツが、本当に普通の子供用のパンツだったんです。それまでの少女ヌードでは、少女達の穿くパンツはほとんどが大人の女性が穿くようなショーツが多かったので、これは新鮮でした。そのズロースと呼んでもよいようなパンツを下ろして、幼い性器を見せてくれている写真を見て、数え切れないくらいオナニーをしたものです。このいやらしい写真を女性が撮っていることは信じられませんでした。清岡純子さんは女装をしている男性なんじゃないかと思ったりしました。

今では考えられないようなこのロリコン・ブームも80年代末の宮崎事件であっという間に下火になりました。といっても大手が手を
引いただけで、アダルトショップにいけばロリータ写真集が溢れている状態は変わりませんでした。しかし、この頃には私自身は仕事、結婚と忙しくなり、ほとんど興味も薄れていきました。90年代は私にとって空白時代です。そして、再びこの妄想世界に戻ってきたときには、児童ポルノ取り締まり法により少なくとも表社会ではロリータブームは完全に終止符が打たれていました。

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