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「SM」と「お仕置き」-似て非なるもの

相変わらず、SM雑誌は買っていましたが、ほとんど自分の嗜好を満足するような作品に出会うことはありませんでした。いまでもそうですが、このての雑誌は店頭で中身を見ることができません。そこで、表紙に書かれた小説やグラビアのタイトルを見て判断するしかありません。「女学生」や「お仕置き」などの文字があれば期待しながら買って帰ります。でも、大抵は普通のSM小説でした。

『風速奇譚』のお話のところでも書きましたが、日本のSM小説は人妻や令嬢がやくざのような男に監禁され、責められ、最後はレイプされるといった展開が多く、私の好みではありませんでした。ストーリーは別として、個々の折檻場面は楽しめる物もあったのですが、たとえば浣腸にしても、何か違和感がつきまといました。

最近、そのことに関して考えてみて気付いたことがあります。浣腸のお仕置きは、肉体的な苦痛はもちろんありますが、それよりも羞恥という面が強いお仕置きです。SM小説における浣腸は、排泄を人に見られるという恥ずかしさがメインであり、それが死に値するほどの羞恥であるからこそ貞淑な人妻や純潔な令嬢が激しい便意に悶え苦しみ、「トイレに行かせて」と哀願するわけです。ですから、浣腸が大量であればあるほど、女性の苦しみが増し嗜虐度が高まるのです。

ところが、私の妄想する『お仕置き』される少女にとって、排泄はそこまでの羞恥ではないはずです。昔、こんな話を聞いたことがあります。まあ、酔っぱらいの猥談みたいな物ですが、妙に真理に迫っている気がして心に残っている話です。それは、処女かどうかの見分け方という話で、女性にピストルを突きつけ究極の選択を迫るのです。その選択とは、「大便を見せるか、肛門を見せるかどちらか一つを選べ」というものです。処女なら大便を選び、非処女は肛門を選ぶというのです。確かに、大人の女性にとっては排泄行為は性器や肛門を見せるより恥ずかしい事かもしれません。しかし、子供にはそれほどのことはないでしょう。まして、見られるのが母親ならなおさらです。羞恥は我慢させる動機にはならないのです。そこで、少女に我慢させる工夫が必要となります。お許しの出る前にお漏らしすればもっとつらいお仕置きをされるという脅しです。浣腸の量だって、初めから我慢できるはずもない量では駄目なのです。必死に我慢すればなんとかなるかもしれないという量であることが必要なのです。

欧米のSM小説にも、浣腸は登場しますが、これはまったく日本の物とは別物です。どうも、彼らの浣腸は苦痛を与えることだけが目的のようです。浣腸用具もイルリガートルが多く、量も大量です。そしてアヌスプラグなどをはめ、とにかく女性が苦しむ様子を楽しみます。その代わり、注入する場面などは至極あっさりしています。日本のようにねちねちと羞恥心を煽りながら、ガラスの浣腸器やいちじく浣腸などを使って少しずつ入れていくなどというまどろっこしいことはしません。私はお仕置きには「苦痛」だけでなく、「羞恥」「恐怖」の三つの要素が重要だと考えています。どうも欧米のSM小説は「苦痛」の要素が強すぎると思います。

もっとも、欧米でも家庭や寄宿学校を舞台にしたスパンキング小説などは、スパンキングを受ける少女の「羞恥」を十分に表現したものが多く見られます。逆に、日本ではプロによる本格的なスパンキング小説は少ないようです(アマチュアの方が、スパンキングを受ける少女の心理などを細かく描写した優れた小説を書いています)。やはり、欧米ではお仕置きといえばスパンキングなのでしょう。浣腸はあくまで脇役のようです。

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