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中学生になり、私にも性の目覚めが訪れました。オナニーも覚えましたが、その頃の妄想はいたってノーマルなものでした。
ある日、本屋でふと手に取った雑誌が、今も続く妄想世界の扉でした。それは『サスペンスマガジン』という雑誌でした。その頃、私は早川書房の『SFマガジン』を時々買っていたのですが、横に並んでいた『サスペンスマガジン』にふと目がいき手に取ったのです。パラパラとページをめくると飛び込んできたのは、女性が縛られ、鞭打たれている挿絵でした。その瞬間、小学校3年生の時のあの光景が蘇ってきました。私はその雑誌を買い、大急ぎで家に帰りました。そして、ドキドキしながら雑誌を開きました。確か、カルタゴの女奴隷という話でした。記憶も曖昧ですが、敵に捉えられたお姫様が女奴隷として、様々な苦痛を味わうという話だったと思います。その日以後、オナニーの時の妄想はサディスティックなものになりました。
その後、しばらくするとSMブームとかで、SM雑誌が雨後の筍のように現れました。私も乏しい小遣いをやり繰りして、そういった雑誌をこっそり買って楽しんでいました。
初めのうちは、SM小説なら何でも良かったのですが、そのうち好みが出てきました。やくざが人妻や令嬢をなぶり者にするといった日本の小説はあまり好きになれず、たまに載る翻訳物、特に寄宿学校を舞台にしたものが楽しみでした。それでも、何となく違和感を覚えていました。それは今から思えば、日本物は大人の女性の羞恥が主で、翻訳物はなにより肉体的苦痛が主であったためだと思います。
そんなとき、『風俗奇譚』という雑誌に出会ったのです。この本は中学生が入れるような普通の本屋にはありませんでした。でも、私は存在は知っていました。それは当時よく行われていた「悪書追放運動」のやり玉に挙げられて、警察かどこかで並べられている写真が新聞に載っていたのを見たからです。私にとっては「悪書追放運動」は全く逆効果でしかなかったのです。どんな楽しい本なのか、ほしくてたまりませんでしたが、どこで売ってるやら見当も付きませんでした。でも、とうとう見つけたのです。近所の古本屋に並んでいたのです。しかも、幸いなことにその店はときどき半分呆けたような婆さんが店番していたのです。私はさっそくそれを買い、家に帰りました。
部屋に籠もり本を広げました。でも、グラビアなどは大人しいものでした。ちょっとがっかりしたところで見つけたのが、平牙人氏の「苦いお茶」でした。これこそ私の熱望していたお話でした。これ以後私の妄想は完全に「お仕置き」に特化されることになりました。母親や父親による娘のお仕置き、先生による女生徒のお仕置き、飽きもせずひたすら妄想し続けました。
この頃から私は『風俗奇譚』だけではなく、『奇譚クラブ』も時々買うようになりました。こちらの方はさらにマニアックな本で、女性の切腹だとか、生首だとか、当時の私にはなぜこんな事が性的な興奮に結びつくのかさっぱり理解できませんでした。ただ、女装であるとか、男性が縛られてたり、鞭打たれたりする話には何となく惹かれるものがありました。