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女中物語-上京1

「さっちゃん、ちょっと来て」幸子が慣れない一日の仕事を終え、女中部屋でほっと一息入れていると、道代が青い顔をして入ってきた。「あっ、はい。道代さん、どうしたんですか?」そのただならぬ様子に、幸子は思わず尋ねた。

「…あのね、さっちゃん。私…、今から留美子さんにお仕置きをいただくの。それで、さっちゃんにも見せるからって」「えっ、お仕置きって、どうしてですか?」「お昼、花瓶を割ってしまったでしょ。それで、…」幸子と道代はこの大黒家の女中、そして留美子というのは女中頭だった。

「でも、あれは坊ちゃまが…」「ううん、坊ちゃまから目を離したお前が悪いって。もし、坊ちゃまが怪我をしたらどうするのかって、おっしゃるの」「そんな、むちゃくちゃです」「ここでは、私たち女中は留美子さんに逆らうことは、絶対許されないの。さあ、早くついてきて。遅れるとお仕置きが厳しくなっちゃうの」

岸田幸子は3月に中学を卒業したばかりの15歳の少女だった。幸子は二日前から、この大黒泰三のお屋敷で、住み込みの女中として働き始めたばかりだった。そして、佐藤道代は1年前から、幸子と同じく住み込み女中として働いていた。

幸子は道代の後をついて女中部屋を出た。「さっちゃん、これから始まることに、びっくりすると思うけど、絶対に留美子さんに逆らうようなことを言っては駄目よ。私がどんな目にあっても、私は大丈夫だから、黙ってみてるのよ」「…道代さん、…お仕置きって」

幸子は何ともいえない不安を覚えながら、暗い廊下を道代の後について歩いた。「ここよ」道代はそういうと、ドアをノックした。それは幸子がまだ入ったことのない奥まった一室だった。「道代です。幸子さんを連れてまいりました」「お入りなさい」中から留美子の声が聞こえた。

道代がドアを開けた。そこは異様な部屋であった。床はタイル張りになっていた。四方の壁には窓は全くなく、ただ一方の壁だけ大きな鏡がはめ込まれていた。女中頭の片桐留美子が部屋の中程の椅子に座っていた。留美子は女中とは思えないほど、垢抜けした美人だった。年は31だったが、二十歳代半ばに見えた。

「幸子。あなたはおとつい来たばかりだから、何も分からないでしょうけど、ちょうどいい機会だから、ここでの女中の躾がどんなものか見てもらうわね。そこに座って、黙ってこれからはじまることを見ていなさい」幸子は留美子が指さした、部屋の片隅におかれた椅子に座った。

「道代。お仕置きを受ける理由をいいなさい」留美子は椅子の前に正座し、自分を見上げる道代に話しかけた。「…はい。…坊ちゃんをお守りしていて…、坊ちゃんが花瓶を割ってしまわれて、…でも、私はご注意申し上げたんです。危のうございますって」「お黙り。あなたは自分の不注意を5歳の子どものせいにするつもりなの?」

「いいえ、…そんなつもりは…ございません。花瓶が割れたのは私が坊ちゃんから目を離したからです。…でも、このことは奥様に申し上げて、お許しを戴いています」「奥様?それがどうしたっていうの?女中の躾は私の役割です。奥様が何とおっしゃろうと関係ないことです。今日はたっぷりとお仕置きをしてあげますからね。覚悟なさい」

「ああ、お許しください。これからは気をつけますから」道代は頭を床にすりつけるようにして謝った。「だめよ。ほら、さっさと裸におなり」道代は泣きながら立ち上がり、震える指で白いブラウスのボタンを外した。ブラウスを脱ぐと、次に黒いスカートのホックを外し、足から抜き去った。

「何をぐずぐずしてるの。さっさとシミーズも脱ぎなさい」道代はすすり泣きながら、白いシミーズの肩紐をはずし、腕を抜いた。ブラジャーは付けていなかったので、道代の小ぶりながらも形の良い乳房が露わになった。道代は慌てて胸を両手で覆った。シミーズは足下に滑り落ちた。

「パンティも下ろすのよ。早くなさい」道代はおずおずと白い清楚なパンティに手を掛け、それを膝の上まで下ろした。道代は雪のような白い肌をしていた。特にお尻は剥いたゆで卵のようにすべすべで、大きさもほどよく引き締まっていた。

留美子は壁に何本もかかっている鞭の中から一本を選び、二、三回振り下ろした。それは、よくしなう細い籐の枝の鞭であった。「腰を曲げて、足首をつかみなさい。幸子もよく見ておくのよ。女中がお尻を叩かれるときは、こうするのよ」

それはとても恥ずかしい格好だった。道代は鏡にお尻を向け、上半身を折り、足首を握ったが。そうするとお尻は後ろに突き出され、鏡には道代の恥ずかしい部分まではっきり映っていた。幸子は思わず顔を赤らめた。

「さあ、道代、叩きますよ。数は決めませんからね。あなたが反省したと、私が感じられるまでお尻を叩いてあげます」そういうと留美子は鞭を振り上げ、道代のお尻めがけて振り下ろした。ピシー。鋭い音が響き渡った。幸子は思わず目をつぶった。

幸子が恐る恐る目を開けると、道代の白いお尻に赤い筋が一本走っていた。ピシー。「…う、うー」道代は低いうめき声を漏らしたが、突き出したお尻はじっとしたままだった。ピシー。ピシッ。道代のお尻の赤い筋が増えていった。

幸子は目の前で起きている光景を呆然と眺めていた。そして、今道代が受けている苦難が、自分にもすぐ降りかかってくるだろうということに気づいた。二日前に東京に出てきてから、いや、もっといえば半年前から続いていた幸福感は完全に消し飛んでいた。

幸子は終戦の年の1月に広島の山村で生まれ、そこで育った。家には幸子を頭に5人の子どもがおり、暮らしは大変貧しかった。父親は山林地主の下働きをしていたが、3年前、檜の伐採中に事故に遭い、それ以来寝たきりになってしまった。母親が日雇い仕事に出て、家計を支えていたが、事故で貰ったわずかな補償金も底をついてしまった。

そんな状態だったから、中学三年になった幸子には、進学の夢などかなうはずもなかった。もちろん、当時は高校進学率も低く、特に幸子の住んでいるような貧しい田舎では中卒で働くということは普通だった。幸子も中学を出たら、大阪の紡績工場で働く事に決めていた。

秋も深まり、山深い村では朝晩、冷え込むようになったある日、突然、幸子に思ってもみなかった幸運が舞い込んだ。それは、そろそろ就職先を決めようと先生と相談をはじめた頃のことだった。幸子と同じように大阪の紡績工場にいく女の子は何人かいた。

そのころ中卒は金の卵と呼ばれ、人を集めようと各社工夫していた。定時制高校への通学を売り物にする工場も多かった。幸子は看護婦になる夢があった。それで住み込みの看護助手をしながら、准看学校に通うことも考えたが、それでは家に仕送りをする余裕はなかった。結局、看護婦の夢は諦め、できるだけ給料が高く、一円でも仕送りを多くできる工場を探していた。

昼休みのことだった。幸子は担任の先生に呼ばれ、校長室に連れて行かれた。そこには、校長と一人の女性がいた。村では見かけることのない、都会的な女性だった。それが片桐留美子との出会いだった。

「これが岸田幸子です」「あら、なかなか利口そうな、可愛い娘さんね」幸子はなにがなんだか訳もわからず、ただ、留美子を見ていた。留美子は微笑みながらも、幸子を見つめる目は鋭かった。幸子は何か恐ろしさを感じた。「岸田君、この方は片桐留美子さん。東京の産院にお勤めです」それから校長は、にわかに信じがたい話を始めた。

留美子は産院の院長、大黒泰三の家庭の住み込み女中を捜しており、わざわざこの広島の山奥まで来たというのだ。「大黒さんは看護婦になる夢を持っているのに、家庭の事情であきらめざるを得ない子どもに援助をしたいと考えられてね。そんな子どもを捜しておられるんだ。我が校にも問い合わせがきて、君を推薦したんだ。君は成績も優秀だし、看護婦になるのが夢なんだろ」

それは信じられない幸運であった。2年間、大黒の自宅で住み込み女中をしたら、その後は産院の看護助手にさせてもらえ、准看養成所に通わせてくれるという話だった。しかも、住み込み女中の給料が月8000円ということだった。大卒の初任給がようやく1万円を超えた時代に、これは破格の給料だった。

幸子が希望すれば、何人かの候補の中に入れて貰えるということだった。幸子は両親とも相談したが、断るはずもなかった。片桐は後日、合否が決まり次第連絡するといって東京に帰っていった。それから、幸子は毎日、村の神社にお参りし合格を願った。2週間後、東京から「あなたに決まりました。卒業式が済めば上京してください」という手紙が旅費を添えて届いた。

それからの半年近く、幸子は希望に満ちた生活を送った。同級生たちはみな信じがたい好条件で、あこがれの東京にいける幸子を羨ましがった。そして翌年、昭和35年の3月の末、母親や幼い兄弟、そして担任の先生に見送られ上京した。

東京駅には翌朝着いた。電報で知らせていたので、片桐留美子が向かえに来てくれた。東京駅からは山手線に乗り、さらにバスに乗り換えた。その間、幸子は初めて見る東京に圧倒されていた。乗り換えで人混みを歩くときは、留美子の手をしっかり握りしめていた。途中、バスが全く動かなくなってしまった。

幸子にはバスがどこを走っているのか、まったくわからなかったが、それは神田川沿いの目白通りだった。幸子が外を見ていると、前の方から何百人もの人がプラカードを持ち、口々に何か叫びながら歩いてくるのが見えた。「安保反対のデモよ」留美子が教えてくれた。ラジオでは毎日のように安保闘争のデモのことが流れていたが、幸子にとってはどこかよその国の出来事のようだった。

そのデモが今、目の前で行われていた。幸子は改めて、東京に出てきたことを実感した。「安保反対、岸を倒せ」耳をつんざくばかりのシュプレヒコールとともに、デモ隊が通り過ぎていき、バスはようやく動き出した。幸子が大黒泰三のお屋敷に着いたのは昼過ぎだった。

お屋敷に着くとすぐに、泰三の妻、美津江に挨拶をした。美津江は広島の山深い田舎から出てきた幸子には、目映いばかりのきれいな女性だった。薄いベージュのブラウスに、えんじ色のカーディガンを羽織り、椅子に腰掛けて毛糸を編んでいた美津江は幸子に微笑みかけた。

「あなたが幸子さん?。留美子さんの言うことを聞いて、一生懸命、がんばるのよ。看護婦さんになりたいんでしょう?辛いことがあっても、辛抱するんですよ」美津江は優しげな表情で幸子に声を掛けてくれた。泰三は旅行に行っていて、帰るのは明後日になるということだった。

その後、幸子は道代に引き合わされた。夜になって、やっと二人はゆっくりと話すことができた。道代は雪のような白い肌の美少女だったが、口数は少なかった。幸子もあまりおしゃべりな方ではなく、二人はぽつりぽつりとお互いの身の上を話した。それでも、同じような境遇の二人は、なんとなく打ち解けあうことができた。

幸子が道代と暮らすことになる女中部屋は、玄関のすぐ脇にある6畳の和室だった。幸子の家は、壊れかけた納屋のようなところで、二間しかなく、そのうち一つには父親が寝たきりだったので、6畳の部屋で母親と5人の子どもが、食事をしたり、寝たりしていた。だから、この部屋に二人だけということが驚きだった。

驚きはそれだけではなかった。女中部屋には何とテレビが置いてあったのだ。幸子の集落でテレビのある家は、地主やお寺など数軒に過ぎなかった。幸子はこれまでテレビは二、三度、同級生の地主の娘の家で遠慮しながら見たことがあるだけだった。

幸子は幸せの絶頂にいた。翌日は留美子について近所の商店街に買い物に行ったり、道代と掃除、洗濯など仕事をしたが、元々夫婦と子ども一人の家庭にそれほど仕事があるわけではなかった。いつも日雇い仕事に出て夜遅くまで働いている母親に代わって、家事をこなしていた幸子には、何の苦もなかった。

道代に対する折檻は続いていた。すでに20打を超える鞭を受けた道代の白かったお尻は、今や赤い鞭痕が何本も走り、一部は血がにじみ、赤黒く変色していた。さすがに、我慢強く耐えていた道代も、一打ごとにお尻を少し動かすようになった。

幸子は目の前で繰り広げられている光景を目の当たりにして、「世の中、そんなに甘くないんじゃない」という同級生の言葉を噛みしめていた。それは、幸子の幸運を聞いた同級生の一人が言った言葉だったが、周りはそれをやっかみととらえ、幸子もそう思っていた。

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