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N女学園高校生徒懲戒記録簿7
- 2016/07/18
- 12:13
話を元に戻す。安木淳子は下着検査においてショーツを下ろすのをためらい、反抗的態度ととられてしまった。さらに、そのショーツにはおしっこのシミが付いていて、それがクロッチ布の表側までしみ通っていたため、併せて懲戒点10となり、指導Bが宣告されてしまったのである。
そして、指導Bを受ける時にも、規定の姿勢をとることを拒んだ。この規定の姿勢とは、腰を曲げ、足首を掴むというポーズのことである。それを拒んだことが教師に対する反抗とされ、懲戒点20が加わり、とうとう特別反省Bという極刑を宣告されてしまったのだ。
この一連の懲戒点の判定は、今も変わってはいないが、実際の運用はずいぶん甘くなっている。安木淳子の場合も、今なら、まず特別反省Bになることはないだろう。例えば、下着検査の際に多少、ショーツを下ろすことをためらっても、反抗的態度とまでは言われない。
また、しつけや指導を受ける際に、弁解を繰り返し、すぐに規定の姿勢にならない女生徒は多いが、よほどしつこく繰り返さない限り、反抗とされることはない。安木淳子の例も、現在なら、特別指導、あるいは重くても特別反省Aで済んでいたであろう。
さらに、懲戒自体が現在とは比べものにならないくらい厳しい。安木淳子は、お尻を平手で125回、さらにケインで合計153回、叩かれている。同じ特別反省Bの実例3に比べても、その厳しさがお分かりいただけるだろう。おそらく、安木淳子のお尻は、目を背けたくなるような惨状を呈していただろう。
特に目立つのは、追加で叩かれた回数である。153回の内、83回は声を上げたり、体を動かしてしまったりして追加されたものである。これは実例3が規定60回に対して追加が32回であるのに比べ非常に多い。
これは、最近の生徒が我慢強くなったのではなく、当時は悲鳴や体の動きを厳格に判定していたからだろう。さらに回数間違いの多さにもふれておく必要がある。回数間違いというのは、女生徒がお尻を叩かれるたびに、「15、お仕置きありがとうございます」とお礼とともに唱える叩かれた数を間違ってしまうことである。
現在は、そういう間違いがあれば、その分はノーカウント、つまり一回だけ叩かれる回数が増える決まりになっている。しかし、安木淳子が懲戒を受けた時代は、もっと厳しかったのである。回数を間違えれば、それまでの分すべてがノーカウントになり、1打目からやり直しになってしまうである。たとえ、最後の一打でも、容赦なくやり直しという厳しさだったのだ。
厳しさはスパンキングだけではない。安木淳子は浣腸も6回されている。実例3で解説したように、特別反省Bの浣腸は、10分間という決められた時間を我慢できないと、何度でも繰り返されるのである。
そして、浣腸の追加だけでなく、鞭や肛門へのお灸も繰り返されるのである。女生徒は、死にものぐるいで我慢をするが、浣腸は繰り返されればされるほど、肛門括約筋が疲労し、我慢できなくなってしまうのだ。
もちろん、回数無制限といっても実際には、女生徒の体調を見て最後は肛門栓などを用いて、我慢を助けて貰える。実例3で見たように、最近の浣腸はせいぜい4回程度で終わるが、以前は安木淳子のように6回くらいされるのが当たり前だったのである。私の調べた範囲では、特別反省Bで最高9回、浣腸のお仕置きを受けた女生徒がいる。
ただ、記録には残っていないが、戦前は少女にとってもっと辛い浣腸のお仕置きが行われていたようである。一つは浣腸後の我慢のさせ方である。浣腸液を注入された女生徒は、ある程度我慢させられた後、おむつを穿かされるのだ。
そして、排便の許可が出ても、トイレではさせてもらえず、おむつの中に出すのである。時には、上半身は裸、下半身はおむつという恥ずかしい姿で、他の生徒が行き来する廊下に立たされ、我慢させられることもあったらしい。
もう一つの辛い浣腸とは、グリセリンの代わりに酢と食塩を用いた浣腸である。これはグリセリンが手に入りにくくなった戦時中から戦後にかけて行われていたらしい。この浣腸をされると、グリセリンと違って、お腹の中が焼けつくような痛みがするそうである。
このように昔に比べるとずいぶん甘くなっている懲戒ではあるが、唯一、以前と比べて厳しくなっているお仕置きがある。それはお灸だ。
お灸も、女学校創立時代から用いられている伝統あるお仕置きだが、以前はお灸を据える部位はお尻あるいは太ももに決まっていた。戦前、あるいは戦後でもしばらくは、お灸というのは非常にありふれたお仕置きで、家庭でもよく使われた。また、医療としてのお灸もさかんに行われていた。
このため、お尻やふとももにお灸の痕が付いていても、それほど気にすることはなかった。しかし、お仕置きとしても、医療としてもお灸があまり行われなくなると、痕を気にする保護者も増えてきたのである。
そのため、1960年代後半より、お灸を据える部位が改められたのだ。お灸のお仕置きは特別反省の時だけであるが、Aの場合は1ヵ所で、お尻の割れ目の内側に据える。Bの場合は、さらにもう1ヵ所、大陰唇の内側に据えるのである。
ただし、実例3で見たように、特別反省に至った最大の理由が、手淫や同性愛行為による場合は、小陰唇や膣口周辺、あるいはクリトリスに据えることになっている。また、お漏らしが理由の場合は、尿道口周囲へのお灸は必ず行われる。また、特別反省における浣腸のお仕置きで、我慢できなかった女生徒には、お尻の穴へお灸を据えられる。
このような場所だと、お灸の痕が目立つことはない。しかし、これらの場所、特に性器や肛門といった部位は、皮膚が薄いため、お灸の熱さは非常に強くなる。
私自身は、これらの部位へのお灸を実際に経験したことはない。N女学園高校の出身者で、こうしたお灸を据えられたことのある人にインタビューをしたことがあるが、みんな口を揃えて言うのは、熱いというより痛み、それも太い針をねじ込まれるような痛みだったということである。
お灸を据える際に、女生徒にとらせる姿勢は、据える部位やお仕置きの流れによって変わる。一般的には、殿裂、すなわちお尻の割れ目や、あるいはお尻の穴に据えるときは、うつ伏せに寝かせ、足を大きく開かせる。
よほど我慢強い子どもでない限り、お灸のお仕置きをじっと体を動かさずに受けることのできる子どもいない。そのため、お灸のお仕置きでは、手足を縛り付けて行うことがほとんどである。
反省室に置かれている黒い革張りのベッドは、一見、病院や保健室にあるような普通の診察台に見える。しかし、それらと大きく違う点は、この上で罰を受ける少女たちの手足や体を縛り付けるためのベルトが、いくつもついていることである。
うつ伏せに寝かせ、両足をほぼ直角になるように開かせて、それぞれの足首をベッドについているベルトで固定する。さらに、背中、腰、両手首をそれぞれベルトで、ベッドに縛り付ける。これで、女生徒は動かせるのは、頭と指先だけになる。
こうすると、足元に立つ先生の動きは、女生徒からは見えない。お尻の割れ目を指で開かれ、モグサを肌の上に乗せられる感触やマッチをする音、線香の匂いで苦痛の瞬間が近づいてくるのを感じ取るしかない。
「さあ、火をつけますよ」という先生の声で恐怖が頂点に達し、その次の瞬間、肌は熱さを感じ始め、それはたちまち「太い針をねじ込まれるような」痛みになるのだ。特に敏感なお尻の穴では、その苦痛は倍加する。
全身の筋肉は硬直し、肌を焼く熱さから何とか逃れそうともがくが、がっちりとベッドに縛り付けられた体は、まったく動かない。ただ、手をギュッと握り、首を左右に激しく振って、耐えるしかない。
特別反省では、浣腸のお仕置きで粗相をしてしまうと、そのたびにお尻の穴にお灸を据えられてしまう。だから、その恐ろしいお仕置きを受けた女生徒は、次の浣腸の時は、死にものぐるいでお尻の穴を閉じ、我慢するのである。
普通なら4、5分も我慢できないような量の浣腸液を入れられた少女が、7分、8分と我慢を続けるのだ。それでも、力尽きてしまい、お漏らししてしまうときの女生徒の絶望感、恐怖は筆舌に尽くしがたいものがある。特別反省における、浣腸とお灸はまさに一級品のお仕置きと言えるだろう。
お灸を大陰唇など性器に据える場合は、ベッドの上に仰向けに寝かせる。そして、やはり足を大きく開かせ、足首をベルトで固定する。そしてうつ伏せの時と同じように、胴体2ヵ所と両手首にもベルトを掛ける。
ただ、この姿勢はあまり使われることはない。というのは、特別反省Bの場合は、女生徒の大陰唇の内側にモグサを置くことになっているが、もう1ヵ所、お尻の割れ目にもお灸を据えることになっている。
そっちの方は、この姿勢では据えることができない。また、浣腸のお仕置きで、許しを得ずに排便してしまったときに据えられるお尻の穴のお灸ももちろん、この姿勢では無理である。
特別反省で決まっているお灸のお仕置きは、懲戒全体の流れからいうと、一番最後に行われることが多い。それは、やはりもっとも辛いお仕置きを最後に行うのが、より効果的だからである。
また、実例3の解説で述べたように、浣腸のお仕置きで決められた時間を我慢できる女生徒は少ない。多くの少女が、追加のお仕置き、すなわちお尻の穴へのお灸を受けることになる。
このように、性器へのお灸も、お尻の割れ目や穴へのお灸に続いて行うことが多いのである。仰向けの姿勢では、いちいち姿勢を変え、手足や体を固定し直す必要がある。そこで、それらを同時に行うことのできる姿勢をとらせる場合がほとんどである。
それは浣腸の時と同じく砕石位である。ただ、浣腸と違って、お灸の時は膝にそれぞれベルトを掛け、ベッドに固定する。膝は大きく開かれ、脇腹にくっつくように固定される。
安木淳子も、浣腸を我慢できなかったためにされたお尻の穴へのお灸は、ずっと腹臥位で据えられていたが、最後だけは、砕石位で据えられている。これは、性器へのお灸と併せて据えるためである。
この姿勢は、性器も肛門もまったく無防備にさらけ出された、少女にとって堪え難い恥ずかしさを感じさせる姿勢である。しかし、女生徒は恥ずかしさを感じている余裕は無い。うつ伏せの場合は、作業する先生が見えないため、かえって恐ろしさが募るという効果があったが、こちらは逆に一部始終が見える恐ろしさがある。
持ち上げた顔のすぐ前にある性器に置かれたモグサに、先生の持つ線香の火が近づく。モグサからゆらゆらと煙が立ち上ったかと思うと、デリケートな肌は熱を感じ始める。そして、それはすぐに激しい痛みに変わるのだ。
こうして、安木淳子はお尻の割れ目と大陰唇の内側にそれぞれ1回、お尻の穴に5回、合計7回もお灸を据えられ、そのたびに泣き叫び、心の底から、自分の犯した罪を反省したことだろう。
安木淳子の受けた懲戒は、特別反省Bであるから、当然、厳しいN女学園高校のお仕置きの中でも、最も厳しいものであった。しかし、当時はこういった特別反省Bもさほど珍しいものではなく、およそ2ヶ月に一度のペースで行われていたのである。
以上、下着検査でショーツを下ろすことを恥じらうという思春期の少女にありがちなささいな過ちに端を発し、ついには教師への反抗という重罪にまで至り、厳罰を受けることになってしまった女生徒の記録を紹介した。
今回、紹介した4例の他にも、1988年に起きた集団カンニング事件で、14名にのぼる女生徒が、5日間にわたって特別反省Bのお仕置きをうけた記録など、興味深い記録が数多くある。今後、機会があれば紹介していきたいと考えている。
おわりに
学校において、教師の体罰が問題となることがある。時には、傷害事件として警察が関与する事件になってしまう場合もある。しかし、N女学園高校シリーズの第1作、「『N女学園高校生徒心得』の研究」や今回の研究で紹介したお仕置きが、そのような問題になったことは一度もない。
世間の学校における体罰と、N女学園高校におけるそれは、一体どこが異なるのであろうか?それは、教師が生徒に対して愛情を持っているかどうかの違いであると、私は考える。
傷害事件になるような体罰は、一時の怒りの感情にまかせた暴力に過ぎない。そこには、良くないことをした生徒に、心の底から反省をさせ、立ち直らせようとする気持ちなどない。
それに対して、N女学園高校で行われる懲戒は、教師の一時的な感情で、恣意的に行われるものではない。必ず、厳格な手続きを経て、行われる。
同じ程度の罪には、必ず同じ程度の罰が与えられる。そこには、教師の個人的な感情が入り込む余地はない。だからこそ、罰を受ける女生徒も、最終的には罰を受ける理由を納得し、反省できるのである。
このように、N女学園高校における懲戒は、世間一般の体罰とはまったく異なったものである。しかし、体罰を罪悪視する風潮は、N女学園高校の伝統ある懲戒まで、ともすれば同一のものとして扱ってしまう。
このため、N女学園高校においても、90年代後半から規律の緩みが見られたことは、まことに嘆かわしいことである。しかし、最近になって、今一度、女学校時代から続くN女学園高校の伝統に立ち返ろうという機運が盛り上がってきた。
伝説となった大石梅子先生が、生徒指導部長として辣腕をふるった時代に、一気に戻ることは無理としても、徐々に厳しさを取り戻していくことができれば、N女学園高校の未来は明るいと確信する。
今回は、N女学園高校における特別懲戒を一件ずつ詳細に記録した、生徒懲戒記録簿を紹介した。