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従姉妹1

これは40年以上前のお話です。ちょうど東京オリンピックを一年後に控え、日本中が高度経済成長にわき返っていた1963年のこと、私は小学校6年生でした。私の母親はその二年前に35歳の若さで、癌のため亡くなり、それからは父と二人の生活でした。父は大学で電子工学の研究をしており、決して裕福ではありませんが、優しい父の元で私はのびのびと過ごしていました。

ところが、その年父にアメリカ留学の話が持ち上がったのです。父はずいぶん悩んだようです。私を連れていくことも考えたようですが、当時はまだ海外旅行さえ珍しいことでしたから、学校のこともあってそれは断念せざるを得ませんでした。父はアメリカ留学をあきらめようとしたようですが、大学の上の先生の強い勧めもあって、結局私を日本においていくことを決断しました。

私は亡くなった母の妹である佐和子叔母様に預けられることになりました。叔母様のご主人、石賀淳三叔父様は大きな会社をいくつも経営しており、芦屋の広壮なお屋敷に住んでいました。叔母様は私を預かることを喜んで承知してくれたのですが、父はなぜかあまり乗り気ではなかったのです。私はただ単純に大きなお屋敷に住めることが嬉しくて、父と離れる寂しさもあまり感じませんでした。

こうして私は1963年の9月に、芦屋に預けられました。叔母様の家は大きな庭に囲まれ、部屋がいくつもあって、東京の小さなアパートで暮らしてきた私はまるでお城のお姫様になったような感じがしました。叔母様には二人の子供がいました。上は女の子で由美子といい中学2年生、下は私と同じ小学校6年生で健一という名でした。

その頃、私はあまり詳しくは知らなかったのですが、由美子ちゃんはご主人の前の奥さんの子供だということでした。だから私とは従姉妹といっても血のつながりはなかったのです。叔父様は仕事が忙しく、ほとんど家に帰ってくることはありませんでした。それにこれは後になって知ったのですが、どうも叔父様にはよそに愛人がいたようです。

由美子ちゃんは私にとても優しくしてくれました。顔立ちはとても可愛く、背は当時としては高い方ですらっとしていました。勉強もよく出来、私もよく教えてもらいました。健一君も美少年で、スタイルもよく、半ズボンからすらっとした足が伸びていました。しかし、同い年ということもあって、何となく意識してしまい、初めのうちはあまり話をすることはありませんでした。

二人とも大人しいものの明るい性格で、由美子ちゃんは私といるときはよく冗談をいって笑わせてくれました。でも、芦屋に来て一週間もする内に、由美子ちゃんも健一君も叔母様がいるときはいつも何か、びくびくしていることに気づきました。

ある時など、泣きはらした目をした由美子ちゃんを見かけたこともありましたが、「どうしたの?」と尋ねても、何も教えてくれませんでした。私はこのお屋敷に何か隠された秘密があるような気がしてきました。

私にとっての謎が解ける日は案外早くやってきました。それは私が芦屋に来て、一ヶ月ほどしたときのことでした。夕方、私は自分の部屋で宿題をしていました。お屋敷にはお咲さんという50歳くらいの住み込みの女中さんがいたのですが、その人が私を呼びに来たのです。

「敦子お嬢様、奥様がお呼びです」私はお咲さんに連れられ、奥まったところにある和室に連れて行かれました。私はまだその部屋には入ったことがありませんでした。私はその部屋に入った瞬間、おもわず声を上げてしまいました。叔母様は部屋の真ん中に座っておられましたが、壁際にはなんと由美子ちゃんが後ろ手に縛られていたのです。

しかも由美子ちゃんはシミーズの胸をはだけ形のよいお乳もむき出しにされていました。「敦子ちゃんはそこに座りなさい」叔母様は部屋の端におかれた座布団を指さしました。「驚いたでしょう。由美子は今からお仕置きをされるのよ。とっても恥ずかしいいけないことをしたので、うんと厳しいお仕置きをされるんです。今日は敦子ちゃんにも見てもらうことにしましたからね」

「お母様、ごめんなさい。もう二度とあんなことはいたしませんから、今日は許してください」「だめです。口ではいくらでも二度としませんなんて言えます。子供は、体で痛い目をしないと心からもうしませんと誓えないんです」「わかりました。私がいけないんですからお仕置きはいただきます。でも、敦子ちゃんの前でお仕置きをするのは許してください。恥ずかしいんです」由美子ちゃんは後ろ手に縛られたまま、畳に頭を擦り付けんばかりにして必死に謝りました。

「お黙りなさい。恥ずかしいことをした子が、恥ずかしい目に遭うのは当たり前です。それに、敦子ちゃんもうちに来て、そろそろ慣れたころだから、このうちのしつけがどんなものか知っておくいい機会なのよ」叔母様は私の方を向いて言いました。

「今日は由美子にはこのうちでしているお仕置きを全部するつもりです。敦子ちゃんもいけないことをすれば同じような目に遭うんだから、よく見ておきなさい」私はこれまで物心がついてから父にも亡くなった母にも叩かれたことはありませんでした。ですから、叔母様が言うお仕置きというものがどんなものか見当も付きませんでしたが、なにかとても恐ろしいことが始まるのは、由美子ちゃんの様子から理解しました。

叔母様は由美子ちゃんを縛っている縄をほどきました。いつから縛られていたのでしょうか。由美子ちゃんの腕にはくっきりと縄目が付いていました。「さあ、由美子。最初はお膝の上でお尻叩きですよ。用意をなさい」由美子ちゃんはあきらめたように、立ち上がりました。これは後で由美子ちゃん自身の口から聞いたのですが、叔母様がお仕置きをすると言えば、泣こうがわめこうがもう絶対に許されることはなかったのです。ぐずぐずすればお仕置きが厳しくなってしまうのです。

由美子ちゃんはシミーズの中に手を入れ、ズロースを降ろしました。そして、正座している叔母様の膝の上にうつぶせになりました。叔母様は由美子ちゃんのシミーズをまくり上げ、かわいい白いお尻がむき出しにしました。「さあ、叩きますよ」叔母様はそういうと右手を振り上げ、由美子ちゃんのお尻にたたきつけました。

パーン。大きな音がして、由美子ちゃんの白いお尻に赤い手形が付きました。叔母様は由美子ちゃんのお尻の左右の膨らみを交互に叩き続けました。40年近く前のことですから、由美子ちゃんは当時としては大きい方とはいえまだまだ幼い体型をしていたと思います。それでもお尻や太股は娘らしくふっくらとしていました。そのころはまだ今のようなパンストはありませんから、由美子ちゃんは黒いシームレスストッキングを太股のところで赤いガーターで止めていました。

私は目の前の光景を呆然と見ていました。叔母様は7、8回続けざまに叩くと手を止めました。「由美子。いったいいつからあんなことをしてるんです」「…き、昨日が初めてです」「嘘おっしゃい」叔母様は再び叩き始めました。パーン、パーン、パーン。乾いた音がする度に由美子ちゃんのお尻が赤く染まっていきます。

私はちょうど叔母様の真向かいに座っていました。由美子ちゃんは叩かれる度に、頭を左右に振って痛みをこらえていました。叔母様はまた7、8回叩くと手を止めました。「だいぶん前にお咲さんがこぼしていたのよ。由美子のズロースのしみが取れないって。その時はまさかあんな恥ずかしいことをしてるなんて思わなかったから、中学生にもなってお漏らしするなんて恥ずかしい子ね。汚れが取れないなら、そんなズロースは捨ててちょうだいって言ったのよ。あのときにもしてたのね。正直におっしゃい。いったいいつからあんな恥ずかしいことをしてるんです?」

「…」「さあ、いったいいつからなの?」「…し、四月頃からです」「まあ、なんて子なの。半年もそんな恥ずかしいことをしていたなんて。今日という今日は、許しません」パーン、パーン、パーン。また、お尻叩きが始まりました。

その時の私は、由美子ちゃんがなんでこんなに厳しいお仕置きをされているのか、二人の話を聞いても何のことか全くわかりませんでした。その頃の私はまったくのおくてで、オナニーなんて全く知らなかったのです。こうして叔母様は途中に小言を挟みながら、30回くらい、由美子ちゃんのお尻を平手で叩きました。

由美子ちゃんの白かったお尻はもう、全体が赤く染まってしまいました。「さあ、膝から下りて」由美子ちゃんは叔母様の膝から下り、正座しました。私はもう喉がからからに乾いていましたが、お仕置きがようやく終わったのだと思い、ほっとしました。でも、それはとんでもない間違いでした。由美子ちゃんのお仕置きはまだ始まったばかりだったのです。

叔母様は立ち上がり、戸棚から50cmぐらいの長い竹の物差しを取り出しました。「今度はこれで叩いて上げるから、四つん這いになりなさい」由美子ちゃんは言われたとおり、その場で四つん這いになりました。叔母様は由美子ちゃんのシミーズをまくり上げ、赤く腫れ上がったお尻をもう一度むき出しにしました。

「もっと、お尻を高く、後ろに突き出して」由美子ちゃんはシミーズの胸を畳につけるように上半身を伏せ、お尻を後ろに突き出しました。叔母様は由美子ちゃんの横に膝をついて腰を上げ、物差しを振り上げました。ピシッ。鋭い音が鳴り、由美子ちゃんの赤く腫れたお尻にさらに今度は、暗赤色の痕が付きました。ピシッ。まるで肉を引き裂くような痛そうな音です。私は思わず目をつぶってしまいました。

ピシッ。ピシッ。叩かれるたびに、由美子ちゃんのお尻は前に引かれそうになりますが、すぐにまた元のように後ろに突き出されます。これも後になって聞いたことですが、お尻を叩かれているときに、大きな声を上げたり、お尻を動かしたりすると叩く回数が増やされるのです。ですから、可哀想な由美子ちゃんは、歯を食いしばり、我慢しているのです。

10回ほど叩いてて叔母様の手が止まりました。そして私の方を見て言いました。「敦子ちゃん、その柱の呼び鈴を押してちょうだい」私は言われたとおり呼び鈴を押しました。由美子ちゃんはようやくお尻叩きのお仕置きが終わったのかと思い、そおっと手を腫れ上がったお尻の方にやろうとしました。

「由美子。誰が終わりといいました。どうしてそんな勝手なことをするんです。さあ、手をどけなさい」再び、厳しいお尻叩きが始まりました。由美子ちゃんのお尻はもう、白いところは全く残っていませんでした。それでも叔母様は容赦なく物差しをお尻に叩きつけます。さすがに我慢強い由美子ちゃんも一打ごとに、食いしばった歯の間から「ひぃー」という声にならない声が漏れ、足を動かしてしまうようになりました。「ほらほら、足を動かすと恥ずかしいところが丸見えですよ」叔母様はそんなことを意地悪く言いました。

しばらくすると、女中のお咲さんがやって来ました。「奥様、御用事は何でしょうか?」お咲さんは目の前の光景にも別に驚いた様子もなく、平然としていました。私はそれで、こんなお仕置きが日常的に行われていることがわかりました。

(以上)

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Author:higan
当研究所はスパンキング、浣腸、お灸を中心としたお仕置きについて、様々な研究を行っております。

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