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従姉妹—嵐の夜1

私がおねしょを隠して、由美子ちゃんまで巻き添えにして、叔母様の厳しいお仕置きを受けてから、ますます私は由美子ちゃんを慕うようになりました。一人っ子の私に、何かと庇ってくれるお姉さんができたみたいでした。しかし、今から考えると、少し違う感情も入っていたのです。

中学三年になり、由美子ちゃんも受験勉強が忙しくなってきたのですが、時々私の部屋にきてお菓子を食べながら、おしゃべりをするのが息抜きのようでした。弟の健一君は4月から、奈良の私立中学に入学し、はじめは芦屋から通っていたのですが、通学が大変なため、大阪にある叔父様の弟さんの家から通うようになりました。

私は由美子ちゃんがたまに、叔母様にされてきたお仕置きの話をしてくれるのが一番の楽しみでした。でも、由美子ちゃんはやはり恥ずかしいのか、なかなかその話はしてくれませんでした。私もそんな話が好きだということが、人とは違うおかしな性癖だと何となく感じていたので、自分から聞いたりはできませんでした。

それに、由美子ちゃんも、中学三年になってからはあまり厳しいお仕置きを受けることはなくなりました。それでもたまに、お尻を叩かれたりしていたようですが、私の前でお仕置きされることはありませんでした。

叔母様は「これからは、敦子ちゃんも由美子と同じようにしつけてあげます」と宣言しました。私は恐ろしさと同時に、お仕置きされることに何となく期待している自分に気づきました。ただ、私のほうも、あれからはおねしょをすることはさすがにありませんでした。

一度だけ、6時の門限に遅れてお尻を叩かれたことがありました。その時はパンツを下ろしてお尻を出すのをいやがったので、厳しく叱られました。「二十分の遅刻だから二十回お尻を叩いてあげます。さあ、用意なさい」いつも、お仕置きに憧れていたのに、いざとなるとやはり、怖さや恥ずかしさが募りました。「お願い。もう遅れませんから、今日は許して」

「何をぐずぐず言ってるんです。さっさとズロースを下ろして叔母さんの膝に来るんです」「ああ、お願い、ズロースは下ろさないで。恥ずかしいんです」「子供のくせに生意気言うんじゃありません。お仕置きの時は素直にしますって、この前お約束したでしょ。素直にできないんなら、この前みたいなうんと厳しいお仕置きをしますよ。それでもいいの」

「いや。素直にしますから許して」私はあわててパンツを下ろし叔母様の膝の上にうつ伏せになりました。叔母様は私の制服のスカートを捲りあげました。恥ずかしかったのでパンツはお尻が半分出るくらいまでしか、下ろしていませんでした。

「何ですか。このズロースの下ろし方は。お仕置きでズロースを下ろすときはお尻が全部出るように下ろしなさい」そういって叔母様はパンツを太股の真ん中ぐらいまで引きずり下ろしました。こうして私は二十回のスパンキングのお仕置きを受けました。

芦屋に来てすぐ、由美子ちゃんがオナニーの罪で、叔母様から厳しいお仕置きを受けるのを見た夜、私もオナニーを覚えてしまいました。時にはお尻を叩かれている自分を想像して、恥ずかしいことをしていたのに、実際に叩かれるとただ痛いだけでした。

初めは歯を食いしばって我慢していましたが、途中からは大声を出して泣いてしまいました。でも叔母様は決して許してはくれず、きっちり二十回叩かれました。叩かれている間は、早く終わってほしいと願っているのに、その夜、また私はお仕置きを思い出しながら、自分を慰めてしまいました。

こんな所を叔母様に見つかったら、どんなお仕置きをされるかと、思うと恐ろしくなりました。でも、それで厳しい、辛いお仕置きをされる自分を想像すると、恥ずかしい部分を刺激する指の動きはますます激しくなりました。

由美子ちゃんが話してくれたお仕置きの話で一番、ドキドキした話がありました。私はその話を聞いてからは、いつも自分を慰めるときは、そのお仕置きをされて、泣いている由美子ちゃんを頭に思い浮かべるようになりました。

それは、由美子ちゃんが小学校5年の時のことです。由美子ちゃんは小学校の頃は、テストはいつも満点をとらないと、叔母様に叱られていたそうです。由美子ちゃんは、もともと頭もいいので、たいていのテストは満点か、悪くても90点以上だったのですが、それでも時には90点以下の点数を取ってしまうこともあります。

低学年のうちはともかく、高学年になるとテストも難しくなります。それでも叔母様は許してはくれなかったそうです。そんなときは、叱られるだけでは済みません。叔母様の膝の上でお尻を叩かれるのです。

大体は手で叩かれるだけで済んだそうですが、あまり点数が悪いと、手で叩かれた後、物差しや時には鞭で叩かれることもあったそうです。悪い点数といっても70点とかで、私ならほめてもらえるくらいの点数でも、叔母様は厳しいお仕置きをするのです。

ある日、由美子ちゃんは算数のテストで、50点というとんでもない点数を取ってしまいました。さすがに素直で我慢強い由美子ちゃんも、こんな点数ではどんなお仕置きをされるか考えると、恐ろしくなってしまったのです。それで、由美子ちゃんはテストを叔母様に見せずに、机の引き出しの奥深くに隠してしまったのです。

でも、悪いことはできないものです。2、3日後のことです。買い物に出た叔母様が、由美子ちゃんの同級生のお母さんたち数人に会い、立ち話をしました。そのうち、学校の成績の話になりました。そして、この前の算数のテストは難しすぎるんじゃないかという話しが出てしまったのです。

由美子ちゃんがどれほど厳しいお仕置きを受けたか、それは想像がつきました。一週間も痕が残るほど、お尻を叩かれ、お浣腸も4、5回されたそうです。由美子ちゃんも何回、お浣腸されたか正確には覚えていないそうです。しかも一回の量もいつもの倍ほど入れられるのです。

もちろん、それでもいつものように10分我慢させられるのですが、さすがに由美子ちゃんも我慢できませんでした。お漏らしのたびに、お尻の穴にお灸を据えられたのです。それから、由美子ちゃんは叔母様に決して嘘をつかないようになったそうです。

このお仕置きの話は、私を十分、興奮させたのですが、私にとってはもっと印象深い続きがありました。由美子ちゃんがお仕置きを受けてから、初めての日曜日のことです。叔母様は由美子ちゃんに、一日中、算数のドリルをするように命じたのです。

朝から、晩まで食事以外は文字通り一日中です。由美子ちゃんの与えられたノルマはドリル100ページでした。初めのうちはそれでも順調に、こなしていったのですが、夕方になるとさすがにペースが落ち始めました。6時の夕食の時には、まだ30ページ残っていました。

「全部終わるまで、寝かせませんよ。後30ページも残っているんでしょ。1ページ10分としても、5時間もかかるのよ。さっさと食事を済ませて、残りをやりなさい」「はい、お母様」由美子ちゃんは、また机に向かいました。叔母様が後ろで手芸をしながら、見張っているので、少しも気を抜くことはできません。

一時間くらいたった頃です。由美子ちゃんが椅子から立ち上がりました。「由美子。どこに行くんです?」「はい、お母様。あの、おトイレに…」朝から何回か、由美子ちゃんはトイレに立ちましたが、それが唯一の気分転換でした。その時も、まだそれほど尿意があったわけではありませんが、ちょっと気分を変えたくなったのでした。

「駄目です。なんべんトイレに行ってるんです。時間が無駄です。もう少し我慢しなさい」「…はい」その時は由美子ちゃんは素直に従いました。しかし、その後徐々に尿意が高まっていきました。さらに一時間が過ぎたときです。

「お母様、トイレに行ってもいいですか」「さっき駄目といったでしょ」「でも、…おしっこがしたくなってきたんです」「まだ20ページも残ってるじゃない。こんなことじゃ、日が替わってしまいますよ。全部終わるまで、トイレには行かせませんよ」由美子ちゃんはそれ以上、何も言えず再びドリルに向かいました。

でも、尿意はますます高まっていきます。それと比例して、集中力はなくなり、ドリルはいっこうにはかどらなくなりました。それでも由美子ちゃんは、腰を小刻みに揺すり、尿意に耐えながら算数の問題を解きました。「さっきから何をごそごそしてるんです。そんな落ち着きのないことで、お勉強できるんですか?」

「お母様、お願いです。トイレに行かせてください。おしっこがしたいんです」「それはさっき聞きました。ドリルが全部済むまでトイレには行かせないと言ったはずでしょ。聞いてなかったの?」「でも、もう、…我慢できないんです」「駄目と言ったら、駄目です。さっさとドリルを終わらせなさい」

「そんな…」由美子ちゃんは泣きそうになりながら、それでもドリルの問題を解こうとしました。尿意はさらに切迫してきます。全神経を股に集中していないと、すぐにでもおしっこがあふれ出そうです。もう、問題はまったく頭に入りません。

それでも、10分くらいはなんとか我慢して、一問を解きました。でもそれが限界でした。尿意はすでに痛みに変わっていました。ちょっと気を抜いた瞬間、おしっこが少し由美子ちゃんのズロースを濡らしてしまいました。由美子ちゃんは思わず、右手の鉛筆を離し、前にあてがいました。

「由美子、何をしてるんです。変なところに手を当てて。さあ、鉛筆をもって、ドリルをやりなさい」「お母様、許して。お願いですから、トイレに行かせてください。もう、我慢できません」「由美子。いい加減にしなさい。何度、同じことを言わせたら気が済むの?駄目なものは駄目です」

「お願いです。許して」由美子ちゃんはまた少し、おしっこを漏らしてしまい、ズロースの表までしみ通ってしまいました。「お漏らしなんかしたら、どんな目にあうか分かってるでしょうね?お尻を嫌というほど叩いてあげますからね」「いや、いや。もう、…我慢できません」

「それだけじゃ済みませんよ。おしっこも我慢できないような、緩んだところに厳しいお仕置きをしてあげます」「ああ、もう駄目です。お母様、許して」由美子ちゃんは両手を股にあてがい、机に突っ伏してしまいました」「由美子、聞いてるの?ズロースを濡らしたりしていたら、由美子のおしっこの所に、お灸を据えてあげます」

「いやぁ、そんなのいやぁ」由美子ちゃんは、最後の力を振り絞って叫びました。「ほら、そんなことをしていたらいつまでたっても、おしっこにいけませんよ。あそこに据えられるお灸は、いつものお尻のお灸の何倍も熱いわよ。さっさとドリルを済まさないと」「あ〜、だめぇ〜、お母様。許してください」

とうとう、終わりがやってきてしまった。はっきりと聞き取れる音を立てて、由美子ちゃんのおしっこは椅子の下に水たまりを作っていきました。「由美子。いったいどういうつもりなの。大切なお勉強の最中に、お漏らしするなんて。絶対に許しませんよ」「ごめんなさい、ごめんなさい」由美子ちゃんは机に顔を伏せたまま、泣いていました。

もちろん、由美子ちゃんがこんな詳しく話してくれたわけではありません。私は大人になってから、自分でおしっこを限界まで我慢し、お漏らしをするのが秘密の楽しみの一つになりました。それは、この時の由美子ちゃんの話を後になって、思い出したのがきっかけでした。

私は二十歳を過ぎてから、父親を亡くし、一人暮らしをしていました。友達もあまりなかった私の数少ない楽しみが、週末にアパートで一人でする遊びでした。それをする日は、朝からおしっこを我慢します。そして、夜、我慢の限界が近づいてきたら開始です。私は子どもっぽい服と下着を身につけます。

その時、私は由美子ちゃんになっているのです。そして、叔母様からおしっこを禁止され、泣きながらお漏らしをしてしまう少女を演じます。その後は、自分でお尻を叩いたり、お浣腸をしました。ただ、由美子ちゃんがされたような、恥ずかしいところへのお灸だけはする勇気はありませんでした。

その一人遊びを何回も繰り返すたびに、叔母様や由美子ちゃんの台詞ができあがっていったのです。その頃は、まだSM雑誌は今ほど多くはありませんし、若い女の子が買えるようなものではありませんでした。ビデオなんかもちろんありません。

今なら、普通の女性週刊誌にも過激な性情報がいっぱい載っていますが、そのころはほとんどそんな記事は載っていませんでした。短大を出て、就職をしましたが、こんな恥ずかしい性癖を持っているのは、自分だけだと思い、ひた隠しにして生活していました。

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Author:higan
当研究所はスパンキング、浣腸、お灸を中心としたお仕置きについて、様々な研究を行っております。

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